お侍様 小劇場

   “真夏の狂詩曲(ラプソディ) (お侍 番外編 62)

 

        


 梅雨が明けた途端、何に追いついての埋めて均したいものか、全国で殺人的に気温がぐんぐんと上がった立秋だったそんな中。久蔵が所属する、某高校剣道部の今日の練習登校は。明日からの休みを前にしての、最後のそれということではあったれど。体を温めるストレッチの後、点呼を取ると全体素振り。打ち込み用のデコイ相手に、順番に向かって行って“面”を打つ、足さばきの練習をし…と。本格的に防具はつけずの、簡単なメニューだけで切り上げて、盆が明けてからは秋に向けての本格始動となるから、くれぐれも自主トレを怠らぬようにという部長からの挨拶を聞いての では解散と相なって。

 「〜〜〜、♪」

 決して剣道部の活動が嫌なんじゃあない。人を相手の練習も試合も柔軟で自在な太刀筋を練るのに必要で大切な蓄積であり、明日への糧であり、まだまだ伸び盛りな自分には重要なものだとちゃんと判っている。……ただ。自分にとっての大切さということで順番・順位をつけるなら、残念ながら一等ではなくなっている。木曽にいた頃ならば、まだまだそうでもなかったかもしれないが、今の自分にとっての“大切”には、何が来ようと譲れないほどの格別な存在が出来たがため。それ以外のもろもろは、すべからく“それより ずんと格下”になってしまっており。文芸的に言うならば、何とも罪なことなれど、こればっかりはそれこそ絶対に譲れない、平成の剣豪殿。

  ―― だって

 そりゃあもうもう、優しくって綺麗で、柔らかくっていい匂いがして。譬えるならば、見栄えの印象は甘くてまろやかな春の桜色、でもって匂いは瑞々しいばかりのアプリコットで。だけども感触は、ふんわり温かくって柔らか…なだけじゃない。優しげで端正な風貌の、淡くて清々しい印象の中に、凛然とした冴えも同居して。嫋やかじゃああるけれど、決して なよやかじゃあない、毅然としたところも持つ、芯の強いしっかり者でもあって。そんな素敵なおっ母様の待つ家、寸暇を惜しんで帰りたくなったって不思議じゃあなかろう…なんて。微妙に間違ってるぞな
(笑)言い回しをそれでも胸に抱きしめて、

 “♪♪♪〜♪”

 表面的には判りにくいが、微妙に上機嫌でさっさかと帰途につく、島田さんチの次男坊。彼にとっての“御主”である勘兵衛は、今日も会社で宵までお仕事なので、今からのずっとを久蔵が独占出来る。そうと思えばますますのこと、口許が勝手にほころびそうにもなろうというもの。…くどいようだが、判る人が限られている変化なんだけれどもね?
(苦笑) ともあれ、平日の昼間という時間帯でがらんと空いてたJRを乗り継いで、数十分ほどかけて帰り着いた自宅は 朝出た時ともどこといって変わりなく。一応は門柱のチャイムも鳴らしたが、自宅なのだからと開けてくれるの待ちはせずに、そのまま玄関へと向かったものの、

 「…っ?」

 ノブの感触がまずはいつもと違った。勘兵衛から時折 注意されつつも、在宅中のドアをうっかり施錠しないでいるのが常の七郎次であり。それでとの無造作に、開くと思い込んでひねっただけに、残念でしたと言わんばかり、回せないほど硬い感触がガツンッと跳ね返って来たのは全くの全然思わぬ反応で。

 「???」

 あれあれ、お買い物かな? でもだったら、ドアに貼り紙してってくれるのに。すぐに戻って来ますからねと、久蔵への伝言メモを、ノブの近くへ貼っといてくれるのにね。何か変だなと思いつつ、ズボンのポケットからお気に入りのマスコット付きキーホルダーを摘まみ出し、慣れぬ手つきで開錠して。

 「……。」

 セーフティー・バーまで掛かってないところをみると、やっぱり家には誰も居ないらしく。何だぁ、せっかく大急ぎで帰って来たのにな。あ、もしかして駅前の商店街にいたのかな、擦れ違っちゃったんだろか。ちょっぴり不満なの隠しもしない、不貞ておりますという歩調でとぽとぽと、埃一つ落ちてない廊下を進んでキッチンへ。お迎えに出て来てくれてないくらいだ、ここにはいないと判っているのに、それでも…影の欠片でも残ってないかと、未練半分、首だけ伸ばして覗いてみれば。

 「………?」

 いつもと同じ、天窓や曇りガラスの嵌めごろしの窓からの光も降りそそいでの仄明るくて、そりゃあきちんと片付けられたキッチンではあったけれど。テーブルの上にトートバッグが出しっ放しなのが何だか不自然と、気がつくところがお母様フリークならではの視点。久蔵の早い帰宅を想定し、午前のうちに出たらしいお買い物。そこから帰って来たのなら、何はともあれ、まずは買い物を片づける七郎次であると知っている。忘れ物に気づいたとして、それでも、

 「……レタス。」

 生鮮ものを冷蔵庫へ仕舞わないままなんて、あのおっ母様にはあり得ない。乱暴だったがカバンを逆さにし、中身を全部出してみれば、トマトに生椎茸にニンジンにと、やはり微妙に冷蔵庫へ入れた方がいいものをそのまんまにしている彼であり。でも、

 “…携帯、ない。”

 財布も入っていないから、それは持って出たということか。じゃあやっぱり何かを買い忘れたの? 今いないってだけで連絡するのはあまりに子供かなと思いつつ、それでも床へと置いたスポーツバッグの外ポケットをまさぐると、自分の携帯を取り出しかけて。

 「…………。」

 ………そんな久蔵の動作がはたと止まったのは、バッグの下に挟まっていたらしき、一枚のメモに気がついたから。底が四角いそれを持ち上げて、だが、よくよく見もせず中身をぶちまけたので、テーブルと同じ白だったこともあり、今までちっとも気づかなかった。はがき半分くらいの大きさの、チラシを切って作った手製のメモ用紙であり、七郎次が日頃から買い物メモや電話中の走り書きなどに使っている。そこへとすらすら、手慣れた筆致で書かれた一文があり。あまりに短い一行なれど、それでも色々含むものはありそうと。あまり行間を読むのは得手じゃあない久蔵でも、そんな風に思っての…思い切り青ざめてしまったそのメモには……


  『実家へ帰らせていただきます、七郎次』





       ◇◇◇



 「駿河の本家に電話したが、加藤さんは知らぬと言うし。」
 「待て待て待て。」

 そうやって、すかさずの行動に打って出たのは何ともこの久蔵にはらしいこと。とはいえ、
「七郎次の携帯には掛けたのか?」
 それが先だろと訊くと、細い顎を引き、こくり深々と頷いて見せつつ、
「電源を落としているようだと言われた。」
「…そうか。」
 言われたというのは、交換の合成音声の指示のことだろと、お約束なところは自己完結で処理をして。加藤というのは昔風に言えば“家令”、今で言うなら執事頭という立場のお人。七郎次は駿河の宗家の養子という身なので、そんな彼が“実家”と呼ぶのはやはりそこじゃあなかろうかと思ったらしい久蔵の判断は、まま間違ってはいないけれど。

 「その次に此処へ来て、何処へ行ったかと儂に訊くのか?」

 電話で訊くのはややこしい事案なだけに憚られたか。態度や表情で酌み取っておくれという、ずぼらな甘えを見せるところは、見様によっちゃあ子供じみていての可愛げでもあったものの、

  ―― だが

 どこかうっそりとした顔の、いかにも憤然としているその態度は。実家へ帰ると言い出すようなことを、自分が不在のうち、勘兵衛が七郎次へ言うかするかしたんじゃないか。若しくは七郎次が…唐突ながら今日になって何にか気づいてのそれから、矢も盾もたまらず出奔しちゃったのじゃないかと、無言のうちにも言いたげであり。鋭くも迫力の滲む上目遣いが、そりゃあもうもう怖いったら。半端なことを言おうものなら、居たたまれなくなった七郎次に代わって、仕置きしてやるとの気構えさえ感じさせるよな、鋭角の緊迫を満たしていた久蔵殿であったれど、

 「そのような何かの方には覚えがない。それに…。」

 さすがに、こちらも…世間に隠れて途轍もない修羅場を渡り歩いている剛の者。青二才にいくら睨まれても堪えはせぬか、微塵にも動じぬままでおいでの勘兵衛様で。動じないまま、これを見よとばかりに差し出された件
(くだん)のメモを手に取り、まじまじと眺めていた壮年だったが。やがて、ぽつりと呟いたのが、

 「これは微妙に七郎次の筆跡じゃあないぞ。」
 「……っ☆」

 ああ、まあ落ち着け。お主と七郎次がはがきや手紙のやり取りをしておったことは知っておるがな、なればこそ、こういう走り書きまではあまりよくよく見ちゃあおるまい。平仮名の“ら"や“て"“す"を縦に長くする崩しよう、いちいち似せてはおるが、漢字の左肩にくる角を丸める膨らませようがの、こうも丸々させてはないのだ。

 「……?」

 そんな微妙なことを持ち出されてもと、ここに来てようやっと、勘兵衛へと向いていたらしき鉾を収め、そのまま困惑の様子で細い眉を寄せてしまった久蔵なのへ。彼から遅れること数十分の時間差で襲いかかって来た恐慌も、難無く払拭した壮年殿、長い足をひょいと組んでの、メモを矯つ眇つ う〜むと眺めること数刻。

 「七郎次以外の誰の筆跡かにはあいにくと覚えがないものの、
  こういう“冗談”を やらかしそうな輩には覚えがないか?」

 「…………冗談?」

 もう既に“容疑者”の目星はついているらしい勘兵衛の言いようへ、む〜〜んと考え込み始めた久蔵へ、

 「日頃はこの近辺にはいないので、想起しにくい存在。
  だが、向こうからは我々を誰よりもよく知る、油断のならない人物で。」

 足場はこの近辺ではないけれど、それでも地の利や土地勘がない訳じゃあない。機動力があっての補えるから、跡形も残さずという行動なんて容易くて。
「この細い字体も、そういやと見覚えがあるとは思わんか。」
「見覚え?」
 くすくすと微笑っているのが、何だか勘兵衛までもが自分を謀る側へと組しているかに思えたか。再びむうと眉を寄せかけた久蔵だったが、


   「儂らの立場なぞ恐れずに、掛かって来るような輩と言えば?」

   「………………っ、丹羽良親。」


 すかさずという反射で名前が出るあたり、一体どういう把握をされている、西の総代様なんでしょうかねぇ?
(苦笑)



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  *さあさあ、おっ母様は一体どこへ?
   そしてそして、この顛末と高校総体、どんな関係が?

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